尾張西枇杷島まつり
尾張西枇杷島まつりは毎年6月の第1土・日曜日に開催される江戸時代から続く伝統のまつりです。
美濃路沿いには露店が並び、5輌の山車が練り歩き勇壮な曳き廻し、
からくり人形の演舞に見物人からの盛大な拍手と歓声が上がります。
まつり二日目の日曜日には「いこいの広場」にてまつりセレモニーが
午前10時から開催、鏡割り、木遣りが披露されます。
尾張西枇杷島まつりの五輌の山車
まつりの山車は江戸時代から続く200余年の歴史を持つ名古屋城下で発達した典型的な「名古屋型」と呼ばれる形式で、名古屋東照宮の祭礼の形態を引き継ぐ数少ない貴重な山車と言われています。
それぞれの山車にはからくり人形が乗せられ、上段に大将人形と2体の人形、正面の一段低い中段には前人形(采振り人形)が1体乗っています。
山車の下層には囃子方が、上層には人形方が乗り込み、運行時には4tを超える重さとなります。
01
王義之車
(橋詰町)
王義之車は享和2年(1802年)に作られた山車で、前祭り(新樂の日)には紺幕を、本祭り(本楽の日)には猩猩緋の幕をつけて山車を飾ります。
前幕の「橋詰町」の金刺繍の文字は王義之流の文字です。
飾り物は屋根の妻飾りに鶴が前後につき、前側は口を開き鳴き、前後で阿吽の姿になっています。上段の高欄下には唐獅子と牡丹が刻まれています。獅子の安住の地は牡丹の花の下という故事に因んでいます。
人形台には鵞鳥の彫り物があり、これは偉大な名書家・王義之が水面を泳ぐ鵞鳥の波紋から流儀を編み出したとの言い伝えに拠っています。
中段には龍と波、人形台には鶴が飾りつけられています。
からくり人形は大将人形の王義之の前に唐子2体を配し、大唐子が団扇太鼓を打っていると小唐子が大唐子の肩に飛び移り逆立ちをします。右手に持つ撥で大唐子の団扇太鼓を打つ離れからくりが見られます。
また、この山車は運行途中で全国的に珍しい鉄道(名古屋鉄道)を横断します。
02
頼朝車
(問屋町)
今の頼朝車は弘化4年(1847年)に作られた山車ですが、それ以前の山車は「振陽車」と呼ばれ、享和2年(1802年)に製作されたものでした。
幕は、仮幕は猩猩緋の幕で本幕は猩猩緋に月・叢雲・蝙蝠が刺繍されています。
山車を飾る彫刻は、屋根に「鬼」を、懸魚に「雲」を、妻飾りに阿吽の「鶴」を刻みます。上段と中段の高欄下には「古松」が、上段の内廻幕板には「花」が、中段の内廻幕板には「波に貝」が彫られています。
からくり人形は大将に源二位(源頼朝)、その前に白拍子(静)と臣下を配します。見どころは早舞いに入って静御前が手に持つ扇をぱっと開くところです。
臣下人形は当初は座って笛を吹いていたと思われますが、いつの頃からか立って吹くようになりました。前人形は御幣を振る神主の姿で、他の4町とは趣を異にしています。
運行には総勢80人前後で行い、山車の曳行にあたり、曳き出しの際「木遣り」が楫方衆の音頭取りによって歌われます。
山車の方向転換を「曲場まえば」といって、山車曳行の見せ場の一つで、楫方衆の力の見せ所でもあります。
03
泰亨車
(東六軒町)
泰亨車は文化2年(1805年)に完成した山車です。
山車の泰亨の「泰」は「安らかにのびのびしている」、「亨」は「良いものの集まり」の意で、町としてのまとまりを強く意識していたものといえるでしょう。
現在のからくり人形は文政5年(1822年)に「鞍馬山」に替わりました。「僧正坊」のもと「牛若丸」が京都の鞍馬山で「木の葉天狗」を相手に剣術の稽古をする場面を演じます。
山車を飾る彫刻は、上段が千疋猿で中段が四神(青龍、白虎、朱雀、玄武)です。
現在奏されるお囃子も能の影響を受けたもので、笛を尾張藩能楽笛方・藤田六郎兵衛の教えを受けたものと言われています。現在主に演奏される曲は「シャギリ」「片シャギリ」「人形囃子」「中神楽(中間)」で、大太鼓・付太鼓・笛(能管)・鼓を使っています。
04
紅塵車
(西六軒町)
紅塵車は享和2年(1802年)にできました。
初めは山車を神社に飾るだけでしたが、文化5年(1808年)にまず山車を曳くことが認められ、からくり人形が出車に飾られるようになったのは文化9年(1812年)、文化10年(1813年)から人形を動かすようになり、今の「尾張西枇杷島まつり」の基礎が出来ました。
その後、文政10~11年(1827~1828年)にからくり人形が今の関羽(かんう)と唐子(からこ)に変わりました。
今の人形のからくりは「華陀の舞(かだのまい」と言います。大将の関羽が戦で毒矢を受け華陀と言う医者が治療をしている時、どこからともなく鳥が飛んできて舞いを舞い、痛みを和らげたという「三国志演義(さんごくしえんぎ)」の故事によるものです。
山車の名の「紅塵」とは、「太陽に反射して塵(ちり)があかね色に輝く様子、栄えた町に起こるチリ・ほこり」の意味で、町内がますます繁栄するようにと名付けられました。
05
頼光車
(杁西町)
頼光車は明治4年(1871年)に完成し、5輌の山車が揃うお祭りとなりました。
山車名の由来は大将人形の源頼光に因んで「頼光車」と名付けられました。
山車は300個以上の部材を釘1本も使用せず組み立てますが、組み立てたままの山車蔵を所有していない為、祭礼の2週間前から町内総出で組み立て、祭礼の1週間後に解体し蔵に収納します。山車を組み立てることを「唐木建」、解体収納を「山下ろし」といい、他地域ではもう見る機会が少なくなっていますが、わが町内では毎年見ることが出来ます。
からくり人形は源頼光・渡辺綱・坂田金時・熊、中段に前人形(采振り人形)を配します。その題材は源頼光が足柄山で金太郎(後の坂田金時)と出会い、彼の力自慢を見て頼光四天王に加えたという故事に因んだものです。
所作は坂田金時が源頼光と家来の渡辺綱の許しを得、岩を頭上に高々と持ち上げて投げると、熊が驚き笹の茂みから飛び出し左右に逃げ回り、これを坂田金時が追い回し捕らえるしぐさを演じます。
山車を方向転換する曲場(まえば)の時は、テンポの早いお囃子に合わせ手足を激しく振り、楫方を励まし士気を高めます。
楫方は山車の向きを変えたり、狭い道路で進行方向を変え露店に当らないようにしています。一番の見せ場である曲場では、左右の楫棒に各々6人が入り、山車を持ち上げて前輪を浮かせ、少しずつ回転させて出車の向きを変えます。
清須市観光ICT看板
公衆無線LAN「Kiyosu Free Wi-Fi」を問屋記念館敷地内に整備、ICT看板のそれぞれの山車のQRコードをスマートフォンで読み込むと山車やからくり人形が表示され、音声ガイドされます。 また、清洲城をはじめととした観光スポットやお店紹介のQRコードも掲載しています。
設置場所:西枇杷島問屋記念館敷地内(清須市西枇杷島町西六軒20) 板
尾張西枇杷島まつり写真コンテスト
尾張西枇杷島まつりの山車、まつり風景のスナップショットなどを撮ってお送りしてください。
応募要項、締切日などは、イベントページに掲載されます。
応募用紙は清須市役所など主要施設に置かれます。
公共交通機関アクセス
公共交通機関アクセス
- 名鉄名古屋本線二ツ杁駅、西枇杷島駅
- JR東海道本線・城北線 枇杷島駅
- きよすあしがるバス
- グリーンルート:尾張新川郵便局東・杁西集会所北・二ツ杁駅東
- サクラルート:芳野公園北
近くには駐車場はございません、電車など公共交通機関のご利用をお願いします。
掲載のイベント内容は、気象状況やその他都合により変更や中止になる場合があります。