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清須観光 Kiyosu Travel

北部ルートモデルルート

観光マップ

弥生時代と戦国時代という大きな戦乱時代に、清須には多くの人々が夢と希望を持って集い、この地方の中心地となっていました。ここ清須で決断し、未来を切り開いた人々には、織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公(三英傑)から、名も知られていない人々まで限りがありません。とりわけ清須城は、三英傑の立身出世の舞台ですが、彼らもここで英気を養い、自分を信じて決断したからこそ、道を切り開き、日本の歴史をも動かしたのです。(【信長公】桶狭間出陣の地 天下統一の出発点/【秀吉公】信長公の草履温めエピソード・清須会議 出世物語の序章/【家康公】関ヶ原東軍集結の地 天下分け目の戦いの前日譚)外敵と向き合いながら、平和で豊かな日常を願い、そして時には戦いに勝つことを願った神社をはじめ、あなたの“英気が充実する”おすすめのスポットをご紹介します。

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北部ルートモデルルート

道 橋のイラスト 城のイラスト 城のイラスト
Spot01

清洲城界隈

(清洲城・清洲公園・上畠神明社・清洲甲冑工房等)

信長公の居城である清洲城や歴代城主の崇敬を集めた清洲三社で、往時を偲ぶことができます。

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清州城・上畠神明社・清洲公園の写真
Spot01

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清州城

清洲城

弘治元年(1555)織田信長公が那古野城から入城、永禄3年(1560)桶狭間の戦いに勝利し、ここ清須から天下統一への第一歩を踏み出した城です。現在の清洲城天主閣は平成元年(1989)に再建され、清須の歴史を紹介する展示・映像などご覧いただけます。

清州城
清洲公園

清洲公園

公園には永禄3年(1560)「桶狭間の戦い」に出陣する姿を模した信⻑公銅像と、その脇には濃姫像があります。散策や、春には多くの⽅が訪れる桜のお花⾒スポットとして知られています。

清洲公園
上畠神明社

上畠神明社うわばたしんめいしゃ

上畠神明社は清洲三社の⼀つ。
「尾張地名考」には御園神社が清洲の内宮ならここは外宮と記されています。

上畠神明社
清洲甲冑⼯房

清洲甲冑⼯房

「清洲ふるさとのやかた」地下1階の⼯房にて、尾張地⽅の桶側胴当世甲冑をモデルにしたアルミ製甲冑を製作、⾒学は無料です。

清洲甲冑⼯房
Spot01

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清洲ふるさとのやかた

清洲ふるさとのやかた

「清洲ふるさとのやかた」は、清洲城⼤⼿橋の正⾯、清洲城⼤駐⾞場隣にあります。おみやげ販売、無料休憩所があり、地下1階では清洲甲冑⼯房の製作を⾒学する事も出来ます。「清洲城」へお越しの際はぜひお⽴ち寄りください。

清洲ふるさとのやかた
清洲古城跡公園

清洲古城跡公園

本丸跡で、幕末に建てられた2基の石碑や信長公を祀る小社があり、信長公の命日6月2日には郷土の偉人を偲び「信長公顕彰祭」が行われます。清洲城本丸跡が現在の清洲古城跡公園、幕末に建てられた2基の石碑(清洲城碑、右大臣織田信長公古城趾碑)があります。

清洲古城跡公園
清洲宿本陣跡正⾨

清須城本丸⽯垣(復元)

「清洲ふるさとのやかた」脇の復元⽯垣は五条川の河川⼯事に伴う発掘調査で発⾒された清須城本丸の⽯垣で復元されたもの。軟弱地盤に備え不等沈下しないよう枕⽊と胴⽊が梯⼦状に組まれた梯⼦胴⽊で、⽯垣は野⾯積みと呼ばれる技法で組まれています。発⾒場所は復元⽯垣の下流約200m。

清須城本丸⽯垣(復元)
清洲宿本陣跡正⾨

清洲宿本陣跡正⾨

「清洲宿」は東海道「宮宿」から中⼭道「垂井」をつなぐ脇往還美濃路の宿場であり、本陣・脇本陣・旅籠屋が置かれていましたが明治24年(1891)の濃尾地震で清洲宿本陣は焼失し、唯⼀残った本陣正⾨のみがやや縮⼩され現存しています。

清洲宿本陣跡正⾨
洪福⼭ 清凉寺

洪福⼭ 清凉寺せいりょうじ

美濃路沿いにある曹洞宗洪福⼭清凉寺付近はかつての宿場「清洲宿」の中⼼地にあり、⼭⾨上層の鐘つき堂からは清洲宿内に時を告げていました。

洪福⼭ 清凉寺
道 遊歩道を歩いてわしらの歴史を辿るのじゃ 家のイラスト 人のイラスト
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あいち朝日遺跡ミュージアム

弥生時代の貴重な展示をはじめ、古代体験やさまざまなイベントを通じて楽しく文化に触れることができます。

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あいち朝日遺跡ミュージアム
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あいち朝⽇遺跡ミュージアム

あいち朝⽇遺跡ミュージアム

朝⽇遺跡(清須市・名古屋市⻄区)はおよそ2,500年前から1,700年前に栄えた全国最⼤規模の弥⽣時代の集落遺跡です。銅鐸・⼟器・⽊器や全国発の逆茂⽊・乱杭等の多重防御施設の発⾒、⽇本最古のヤナなど、貴重な発⾒が相次いでいます。

あいち朝⽇遺跡ミュージアム
道 秀吉に所縁ある日吉神社には、狛犬ならぬ猿が仕えておる。何匹の猿に会えるかのぉ。 さるのイラスト
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日吉神社

SNS映えすると評判の⼥性に⼈気のあるオリジナル恋みくじやはきだし⽫など、ここならではの体験ができます。

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日吉神社
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清洲⼭王宮 ⽇吉神社

清洲⼭王宮 ⽇吉神社

清洲三社の⼀つ。宝⻲2年(771年)、疫病を鎮めるために建⽴されました。豊⾂秀吉の⽣⺟(⼤政所)が⼦授けを祈願し秀吉を授かったといわれる⼦産⽯があります。

清洲⼭王宮 ⽇吉神社
道 お寺のイラスト
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興聖⼭ 総⾒院そうけんいん (04A)

信長公の戒名に由来する寺院で、本能寺から回収された信長公の兜(焼け兜)が伝わっています。(※兜の見学は要予約)

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興聖山 総見院
Spot04A

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興聖⼭ 総⾒院

興聖⼭ 総⾒院そうけんいん

徳川義直が清須越で⼤須(名古屋)に移った総⾒寺住職の隠居所と織⽥家の菩提寺として建てられました。県⽂化財の聖観⾳⽴像や信⻑公着⽤と伝えられる焼兜「信⻑公御召兜」など⽂化財の宝庫となっています。

興聖⼭ 総⾒院
Spot04A

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清須市はるひ美術館

清須市はるひ美術館

静かな公園の中にある⼆階建ての美術館。多くの⽅に美術・芸術に触れていただく場となっています。

清須市はるひ美術館
清須市⽴図書館

清須市⽴図書館

図書館は、敷地内にある美術館や公園を⼀体とした清須市の⽂化ゾーンとして、⼦どもから⾼齢者までゆったりとご利⽤いただけます。館内には、歴史資料展⽰室も併設し清須市の歴史を紹介しています。

清須市⽴図書館
  • 場所:愛知県清須市春⽇夢の森1番地
  • 営業:10:00-19:00 休:⽉(⽉曜⽇が休⽇の場合は次の平⽇。12⽉29⽇〜1⽉3⽇、館内整理⽇〈毎⽉末⽇。その⽇が休館⽇⼜は⼟・⽇曜⽇、休⽇の場合は直前の平⽇〉、特別整理期間〈年1回〉)P:あり
  • 公式HP http://www.library-kiyosu.jp/(このサイトを離れます)
宮重⼤根発祥之地跡碑

宮重⼤根発祥之地跡碑

⻘⾸⼤根の原種宮重⼤根の発祥の地が清須市春⽇宮重といわれており、「宮重⼤根発祥之地跡」の碑が建⽴されています。宮重⼤根は尾張藩主が将軍家や⼤名所家、朝廷への進物として⽤いたことで全国的に有名でしたが、やがて⽣産されなくなり、平成4年に復活栽培され愛知県の伝統野菜として清須市特産品となっています。

宮重⼤根発祥之地跡碑
道 今川塚のイラスト 今川義元のイラスト

大雄山 正覚寺しょうかくじ (04B)

今川義元を供養する今川塚があり、「桶狭間の戦い」の痕跡を垣間⾒ることができます。

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大雄山 正覚寺
Spot04B

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⼤雄⼭ 正覚寺

⼤雄⼭ 正覚寺しょうかくじ

⼤雄⼭正覚寺は松平忠吉が慶⻑8年(1603)に前任地の忍(埼玉県行田市)にあった実母西郷局(宝台院)菩提寺として須ヶ口外町に堂与が建立され、清須越で名古屋に移りましたが、跡地に新たに⼤雄⼭正覚寺として建⽴され現在に⾄ります。

⼤雄⼭ 正覚寺
Spot04B

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堀江⼭ ⻑⾕院

堀江⼭ ⻑⾕院ちょうこくいん

尾張三⼗三観⾳第⼆番札所として「堀江の観⾳様」として親しまれました。天保3年(1832)に⻄堀江に再建され、同5年(1834)に第10代尾張藩主徳川斉朝の寄進によって多宝塔と仁王⾨が建⽴されました。軒丸⽡には、尾張徳川家の三葉葵の紋があります。

堀江⼭ ⻑⾕院
道
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清須城下町遺跡

(御園神明社05A・清須城土居之跡/天王公園05B)

外堀跡や虎口跡などの痕跡は、この街が秩序の要として、外敵に備えていたことを実感できます。

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清須城下町遺跡周辺
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御園神明社

御園神明社

清洲三社の⼀つ。清洲城下町の頃には⾨前で御園市が開かれていました。江⼾時代には中島宮と呼ばれていました。

御園神明社
天王公園

天王公園

⼦どもたちを遊ばせられる遊具のある公園。現在の姿からは想像しづらいですが、この辺りには清須城下町への出⼊り⼝である「⻁⼝」があったとされています。

天王公園
清須城⼟居之跡

清須城⼟居之跡

清須城下町は周囲を東⻄約1.5㎞、南北約2.7㎞にも及ぶ堀で囲われた巨⼤な都市でした。現代にも残る清須城⼟居之跡は、当時の総構えの痕跡です。

清須城⼟居之跡